

◇湯浅広川消防本部◇(和歌山)

自然に汚れ、情緒に満ちた町
湯浅・広川消防組合を設立した湯浅・広川の両町は、和歌山県の中央部有田郡の最南端に位置し、東は吉備町、金屋可及び日高郡中津村と分水領で接し、北は有田市と中山丘陵で隣接しています。また、西は湯浅湾に臨む海岸線となり、紀伊水道を隔てて遠く四国徳島県と相応しており、南は日高郡川辺町・日高町・由良町と相接しています。そして、白馬山脈から流れだす広川は、谷底平野を形成して緩やかに湯浅広港へと注ぎ、この川をはさんで両町が構成されている。
応援協定
最近、全国的に、大規模災害が発生した場合に対処するため、消防組織法二一条に基づく消防相互応援協定が各消防本部で締結されているなか、当組合においても、阪神・淡路大量災を機に、各種応援協定を結んでいる。平成八年二月には、和歌山県の防災ヘリコプター応援協定が、三月には和歌山県下における消防広域相互応援協定、さらに有田市、有田消防組合、湯浅広川消防組合の相互問における消防相互応援協定が締結された。
あんしん電話
当地域でも高齢化が進んでおり、これに伴い、高齢者の救急事象も増加の一途を辿っている。このようなことから、当本部では、緊急事態に機敏に行動することが困難な一人暮らしの高齢者等に対し、防災まちづくり事業の一環として、緊急通報システムモデル事業の推進を図り、平成四年度から「あんしん電話」を対象者世帯に貸与している。これは、高齢者等が家庭内の急病や突発的な事故にあったとき、非常ボタンを押すだけで二四時間体制の消防本部に送信され、確認が困難な場合には、ボランティア(協力員)の協力を得て、救急活動等をより一層迅速化して、救命効果の向上を図っていくことを目的に設置されているものである。
醤油製造工場に消防隊!?
当地域には、明治当初から醤油製造が盛んで、湯浅町内の至る所に製造工場があった。この頃まで参害は、各字ごとに消防組織があり、なかでも醤油製造工場には蔵若衆によって構成される消防隊が相当活躍していたということである。大正四年に初めて湯浅消防組として統一されたが、まだまだ消防機器類はすこぶる幼稚であった。
昭和に入って町内に上水道の敷設を見るにいたり、給水の便利を得、きらに消防自動車を購入した後は、急速に装備の充実・強化が図られていった。
稲むらの火
安政元年(一八五四)広川町(旧広村)に大津波が押し寄せた時、のちに初代駅逓頭(現郵政大臣)となった浜口梧陵は、刈り取ったばかりの稲むらに火を放ち村人に知らせ命を救った。梧陵は、この津波で廃墟と化した村を見て、二度と同じような災害が起きないようにと、有志とともに巨額の私財を投げ出し、長さ六三七m、高さ四・五mの大防波堤を完成させた。この三段構えの堤防は全国でも例がなく、昭和一三年、梧陵の墓碑とともに国の史跡に指定されている。
地域住民と一体となって
当本部は、昭和五七年発足時、消防士となった職員がほとんどであるため、家庭的な雰囲気がある反面、職員の高齢化も進んでいる。このことから、山崎消防長は定期的な健康診断や医師指導等による健康管理など自覚をもって積極的に自己の健康管理に努めるよう職員を指導している。また当本部は少数精鋭ながらも、地域の方々や各種団体の協力をいただきながら、地域住民と自治体が一体となり、ふれあいを大切にした防火・防災活動を目指している。
(大谷正明)

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